ワタシは保育士として
働いていました
保育士としてはできるのに
自分のコドモにはできないこと
たくさんあります
そのひとつが
イライラしないことです
保育園の子が
やってはいけないことをしたときは
冷静に話せるのに
自分のコドモには
イライラして
感情的になってしまいます
保育士でなくても
他人の子が泣いていたら
かわいいね~
と微笑ましく見ていられるのに
自分のコドモが泣いていると
なんで泣くの~(涙)
と思いませんか?
この違いは
どこからくるのでしょう?
理由は
責任がある
(親としてなんとかしなくてはいけない)
世間体がある
(ほったらかしていると思われたくない)
心配
(このままで大丈夫?)
自分に実害がある
(コドモのすることで自分に迷惑がかかる)
などいろいろあると思いますが
ワタシが一番しっくりくる理由は
/
絆があるから
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絆とは元々
馬などの動物をつないでおく綱
のこと
昔読んだ
『やさしさの精神病理』という本で
「絆」という漢字は
二つの意味があることを
知りました
ひとつは「きずな」
人と人との断つことのできないつながり
もうひとつは「ほだし」
人の心や行動の自由を縛るもの
自由をさまたげるもの
犬のリードをイメージすると
わかりやすいのですが
普通に歩いているときは
犬と飼い主をつなぐ
「きずな」
になりますが
一旦犬が暴走し始めると
飼い主は引きずられ
自由を奪われる
「ほだし」
になってしまいます
オヤとコドモの関係でみると
両者が同じ方向を向いて
同じペースで歩いているときは
良好な関係にあり
「きずな」となりますが
コドモとオヤが
違う方向を向いていたり
ペースが違ったりすると
たちまち心や行動を縛る
「ほだし」
となってしまいます
これが
イライラの原因では
ないでしようか
コドモが
オヤの枠のなかに収まっているときは
心穏やかに見ていられますが
枠からはみ出ようとすると
心がモヤモヤイライラしてしまいます
他人のコドモが
自分の枠からはみ出ても
何とも思わないのは
「きずな」がないから
コドモにイライラするのは
コドモとの絆があるからです
自分のコドモに
イライラしないためには
手綱を長くして
ゆったりと見守る余裕が
必要そうです
コドモノミカタワタシノミカタ
子育てをがんばるアナタノミカタ
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